ソン・ウォンピョン『アーモンド』 感情の教育・学習

今回紹介する本は、ソン・ウォンピョン作、矢島暁子訳『アーモンド』です。

アーモンド [ ソン・ウォンピョン ]
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2020年本屋大賞の翻訳小説部門で第1位を受賞したそうです。

突然ですが、

感情って、元々備わっている部分と、学習して体得した部分とがあるように思いませんか?

例えば、いきなり極端な例になるかもしれませんが、知人が亡くなったとき、素直に別れを悲しく感じる部分と、こういうときは悲しむものなんだという常識が増大させている悲しみの部分がないですか?

サイコパス的な受け取られ方をされそうなので、他の例も出してみましょう。

飲食店でアルバイトをしていて、お客さんが帰る際、笑顔で「ありがとうございました」と言いますよね。

そのとき、仕事が増えただけで本当は全く感謝していないのに、言わないといけないから仕事として作り笑いで「ありがとうございました」と言うのか、

そんなふうに冷たい人間であるべきではないから半分作り笑いで「ありがとうございました」と言うのか、

アルバイトとはいえ、店を利用してくれたことに対して素直な笑顔で「ありがとうございました」と言うのか、

他にも動機は色々あるでしょう。

そもそも「ありがとうございました」の一言に、こんなにめんどくさく考える人は少数だとは思いますが、あくまで例えとして聞いてください。

感情って、こんなふうに色々な要素が混ざってますよね?

例えて言うなら、心には温泉があって、温泉には底から湧き出るお湯があるんですけど、その温泉の温度を管理する管理人も心の中にいて、底から湧き出るお湯と、管理人の思惑とで心の温度が決まっているっていう構図

もっとわかりやすい例えがありそうなもんですが、私の発想力の限界です。

まあ、とにかく、感情って、心の底から湧き出る部分と、“こう感じるべき”あるいは“こう感じるのが好ましい”っていう学習による部分とが混ざっていませんか?

この表現もわかりにくいですかね?(笑)

でもとりあえず私の例えが刺さっている前提で話を進めます。

こんなことを考えたくなったきっかけが、冒頭で紹介した本『アーモンド』です。

この本は、脳の偏桃体という部分が通常の機能をせず、感情がほとんど働かない少年の話です。

偏桃体という部分がちょうどアーモンドのような見た目、大きさをしているらしいです。

この少年は母親から感情の教育を受けるのですが、なかなか母親の思うようになりません。

そんなこんなしているうちに母親はある事件に巻き込まれ植物状態になります。そんな事態になってもこの少年の心は動きません。

ところが、とある乱暴な少年と出会い、その少年の人生に巻き込まれていくことで………

という話です。小説のネタバレになるので内容は詳しくは書きません。

で、私のつまらない話に戻りますが、

先に書いたように、感情には、純粋な部分と管理されている部分とがあると私は考えています。

この心の管理から自由になり、自分の純粋な感情を自覚することができたら、心の動きが新鮮に感じられるなぁというのが結論です。

もちろん、簡単なことではないし、社会生活において完全に心の管理を止めるというのは不可能に近いと思います。

でも、感情に自覚的になることはできないことではありません。

心の底から湧き出ている感情なのか、感じさせられている感情なのか、

社会人として感情や、感情の表出をコントロールしなければいけない場面はたくさんあると思います。

しかし、内心では自由な感情を持っていたい。

不謹慎だろうと性悪だろうとひねくれていようと、自由な感情も大切にしたい。

そんなことを改めて思う本でした。

感情の管理とかいったことをもっと学術的に考えたい方、例えば学生さんなどは、こちらの本を読んでみても面白いかもしれません。

感情社会学などの分野では代表的な文献です。

この記事のような話が好きであれば、こんな本もおすすめです。

ひろさちや『「狂い」のすすめ』 仏教の思想・哲学

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