被災地支援者驕るべからず

大地震や豪雨などの災害で街が壊れると、被災された方のために避難所や仮設団地が開設されます。

そして、被災した地域や避難所に各地から様々な支援者が来ます。

支援の目的は支援物資を届けるためであったり、瓦礫の撤去であったり、倒壊した建物の修繕であったり、被災住民の心のケアであったり

様々な目的で様々な支援者あるいは支援団体が駆け付けます。

災害大国の日本なので、今後も富士山噴火や南海トラフ地震など様々な大災害が発生する可能性があり、あなたが被災する可能性もありますし、被災地に支援に行くこともあるかもしれません。

私自身、とある大地震の後、約2年ほど、仮設住宅で暮らす被災者の生活再建支援の仕事に関わったことがあります。この仕事は行政から委託されたもので、仮設住宅住民の実態把握や情報提供、専門機関とのつなぎ役を目的とする仕事でした。

その経験から、今後同じように被災地支援という活動に関わる人に言っておきたいことの1つが、「助けてあげている」という驕りは慎むべし、ということです。

他者に対して驕らないというのは支援とか災害など以前に、人間として理想のあり方だと思いますし、福祉の仕事に携わるなら、より一層、慎む心構えが大切です。しかし、色々な現場で「支援者」を見てきた私からみると、そうした立場に身を置く人には、驕りと言われるような傾向が強いようにも感じます。

ついつい人は自分のこだわりや信念を他者に押し付けてしまいがちで、他者の支援をしているという自負がそうした傾向を知らず知らずのうちに強めているのかもしれません。

そして、被災地支援に自ら駆け付けるような情熱的な人や団体には、得てしてそうした傾向が出やすいように思います。なかなか無私の奉仕というはできないものです。

個人・組織は問わず、支援する側の考え方では支援が必要な被災者かもしれないけど、支援を受ける側からすると「支援を押し付けられている」「いい迷惑」といった話は地域支援の場では往々にしてあることです。

特に災害後の避難所や仮設住宅に押しかけて支援に入る形の場合に起こりやすいことです。むしろ、避難所や仮設住宅を荒らす人たちだと思われる事態にもなりえます。

前置きが長くなりましたが、今回は私の実体験を書いてみたいと思います。

先に書いたように、私が経験した被災地支援は、大地震で家屋が被災して元の自宅に住むことができなくなった方が、次の住居を確保するまで一時的に生活する仮設団地での生活再建支援でした。

関わることになったいきさつを簡単に説明すると、

私が当時勤めていた福祉施設は、福祉関係の全国的な団体に加盟していました。その団体は大地震発生直後から、被災した高齢者や障害者などの要支援者への専門的なサポートをするために加盟施設の職員を現地に派遣していました。

しばらくすると、現地で別に支援活動をしていた団体が行政から仮設団地での生活再建支援を受託することになり、今度はその団体に協力する形での派遣が続きました。

その派遣支援員として私が派遣されることになり、所属している施設での仕事と並行して、断続的に約1年、その後、受託している団体に移籍して約1年、合わせて2年間、被災地支援に関わりました。

私がこの記事のテーマの「被災地支援者驕るべからず」と強く実感したのは、この派遣が始まって早々でした。

元々私が派遣される前は、派遣元の団体の幹部の方たちがその仮設団地での支援に加わっており、仮設団地の住民で障害のある方やその家族と関わりを持っていました。

幹部の方たちは、ある知的障害をお持ちの住民さんで、利用中の施設を止めて他の施設の利用をしたいと訴える方の支援に介入していました。

その当事者や家族の主な訴えは、利用中の施設が「違法にお金を使っている」「提供されるサービスが劣悪」といったことでした。

派遣元の団体の幹部たちは、まず、この当事者・家族と施設の仲介をする形で、当事者とともに施設に訪問し話し合いをしました。

その話し合いで幹部たちは「確かにこの施設は良くない」という印象を持ちました。そもそもこの施設のことを以前から知っている幹部(私の直属の施設長)が、施設に対して良い印象を持っていなかったことも要因でした。

幹部たちはその当事者や家族に同調する姿勢になり、施設との関係は増々険悪なっていきました。施設側からすると、派遣元の団体は「急に現れた引っ搔き回す団体」と見なされていました。その状態で私に引継ぎがあったのです。

私は自分の目、耳で事実関係を確かめたわけではありませんので、幹部たちが熱くなっているのに戸惑いながら、自分なりに時間をかけて少しずつ当の施設と関わり、実態を見ていきました。

すると、幹部たちの解釈とは違う解釈になりました。

私の目から見てもその施設は確かに素晴らしい施設ではないのですが、その当事者の方の主張を鵜呑みにできるほど劣悪な施設ではない。そして、施設側からの当事者の方に対する認識は、飽きっぽい性格で仕事が続かず、度々、施設のことを批判して注意を引こうとするといった人間像でした。

だから、施設としてはその当事者に対して「また拗ねて注意を引こうとしている」という捉え方をしているのに、そこに被災者支援という看板を掲げた部外者が介入してきた事態をややこしくしているという構図になっていたのです。

私はこの構図に気づいて、とにかくまずは皆が冷静になるようにしようと、派遣元の団体幹部と当の施設との関係性の改善を図ろうとしました。

しかし、ある幹部は「あんな施設とは仲良くする必要ない」というし、当の施設の担当者も「そちらの団体から悪く思われているのは以前から分かっています」という始末

派遣団体が被災地域の障害者支援部会にその施設の悪い評判を流すものだから、その施設としても障害者支援部会に団体の対応が横暴だと訴える始末

私が勤務している法人の理事長が、そんな事態になっていることを知り、団体の幹部(私の直属の施設長)に状況を報告するように言うと、あろうことかその施設長は、全てを私の責任かのように報告する始末(この施設長が引っ掻き回している張本人なのに)

これは私の個人的な怒りが昂っての脱線ですが、とにかく、状況はどんどんややこしくなっていきました。

そんななかでも、現場では当の施設の担当者と私個人とは関係性が形成されつつあったので、試行錯誤し3カ月ほどかけてなんとか決着をつけることができました。結果としてはその当事者の方は別の施設を利用することになりました。

しかし、別の施設を利用するようになっても「行きたくない」と「行きたい」を繰り返して施設の利用が不安定であったり、送迎する母親に苛立ちをぶつけて暴力をしたり、送迎中に「行きたくない」と言って助手席からサイドブレーキを掛けたりと、不安定な状態が続き、再び別の施設に利用先を変更するという顛末でした。

元々この方が利用していた施設の担当者の方は、「こんなことになるだろうと思っていた」と口にされていました。

もちろんその方にとっては、環境が変わり良い方向に向かっていくきっかけにもなったかもしれませんが、それは時間が経って振り返ったときの話です。

この出来事を見ると、私が所属していた団体は被災地支援と称しながら、自分たちの主張に基づいた一方的な活動をし、被災住民や被災地の施設に混乱を招いただけとも受け取れます。この件が落ち着いた後、私が虚しい気持ちになったことはいうまでもありません。

私の話にわかりにくい部分もあると思いますが、

この駄文長文で言いたいのは、地域福祉とかコミュニティ支援とか言われるもの、特に私の体験のように、地域に押しかけて支援に入ろうとする形の場合、支援する側の考え方を押し付けてしまい、支援を受けさせられる側からすると大きなお世話、いい迷惑という話は往々にしてあることです。

支援しようと活動しているのに被災者や被災地に余計な混乱をもたらさないように、支援に携わる人には慎みも大切だと思います。良かれと思ってやっていることで恨みを買わないようにするためにも気をつけなければいけない点です。

こんなことを書いてきましたが、私も一人の被災者としては全国からの様々な支援に助けられたという思いもあります。被災地への支援を考えることはとても尊いことだと思います。

驕らないよう自重して、本当に被災地のためになることを考えていきたいものです。

住民どうしの助け合いを求めるのは時代に即しているのか

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