障害福祉に携わっていると、クライエントの常識的な感覚からは逸脱している言動や、理不尽な要求、暴言暴力に直面することは日常的です。
でもそれは、障害や病気、あるいはその方を取り巻く環境のせいであると考えるのが、障害福祉の支援者側の基本姿勢です。
ただし、だからといって障害のある方の問題行動には目をつぶるべきということではありません。
一人の生活者としての“常識的な感覚”に照らし合わせて毅然と対処すべきときもあります。
この記事では、障害福祉に携わるものとしてのプロの思考と、一人の生活者としての常識的な感覚を自分の中で育み共存させることの大切さと難しさを説明したいと思います。
冒頭からくどいようですが繰り返します。
障害福祉においては、障害者の問題行動を“普通”を基準にして裁いてはいけません。
でも、“普通”の感覚をしっかりと持って、反応しないといけません。
こんな話があります。
A子さんは当時、福祉の勉強をしている女子大生でした。
ある日、以前ボランティアで知り合った重度心身障害の男性(Bさん)からSNSで、ボランティア依頼がありました。
Bさんは、自らの障害のある生活を書籍化したり、数々のイベントや研修会で講演をしたり、メディアにも取り上げられる、業界では名のある方でした。とある福祉法人の役員の肩書もある方です。
BさんのA子さんに対する依頼は、Bさんが招かれた講演会に参加するための一泊二日の旅に、身の回りの世話係として同行して欲しいというものでした。(ちなみに、Bさんは結婚しており、健常者の奥様がいらっしゃいます)
A子さんは、勉強になるのではないかという思いと、就職のためのコネづくりという思惑もあって、詳細を確認しないまま依頼を引き受けることにしました。A子さんの旅行費用はBさんが負担するため、タダで旅行ができるという思いもあったそうです。
そして旅が始まりました。
一日目、会場に行く前に一旦、宿泊先であるホテルに到着しました。これから会場に向かう予定なのですが、その前にBさんが「汗をかいたからシャワーを浴びたい」と言われました。
A子さんはBさんを浴室まで誘導し、外で待っていようとしました。するとBさんから「何してるの?体を洗ってよ」と言われました。
A子さんは内心「入浴介助をするなんて聞いてない」と思いましたが、「でもまあ、冷静に考えれば、そうだよね」と納得し、腕と足をまくり、浴室に入りました。
軽く汗を流すだけかと思いきや、Bさんが「ここも洗って」と陰部を洗うよう指示しました。
A子さんは、「えーっ!」と思いながらも言葉にはせず、言われた通りに手を差し伸べ、はじめは軽くなでるように洗いました。
すると、「ちゃんと皮もむいて」との指示があります。A子さんは心を無にして言われた通りにしました。
そして会場に行き、講演を終え、ホテルに戻ってきました。
するとBさんは再び「風呂に入る」と言いました。そして、先ほど同様、Bさんは陰部まで洗うよう指示をしました。A子さんは言われた通りにしました。
でもこのときには、さすがにA子さんもBさんの魂胆を疑い始めたそうです。
そして二日目、Bさんは「温泉に行きたい」と言いました。その地域は温泉が有名でした。
A子さんはこの時点で疑いが確信になったそうですが、抗うことはできずついていきます。
温泉に到着するとBさんはA子さんに、温泉なんだからと、服を脱ぐように言いました。
家族風呂であったため服を脱ぐ必要はなかったのですが、A子さんは、その時に着ていた服が濡れると着替えがなかったため、バスタオルを巻いてBさんの介助をしたそうです。
さすがに旅のおまけの温泉なんだから必要ないだろうとは思いましたが、言われた通りきちんと陰部も洗ったそうです。一泊二日の旅で3回目です。
後日、A子さんは、ハメられたような気持ちになったそうです。
Bさんのことを知っている大学のOBやボランティア仲間から話を聞くと、「またやったのか。Bさん、そういうところあるんだよね」という反応が返ってきたそうです。
どう感じますか?
捉え方は色々だと思います。
このケースの場合、旅の同行を決める前に詳細を確認しなかったA子さんにも落ち度はあるかもしれませんが、そこは学生の立場なので無理もありません。
まだ現場経験がないわけですから、陰部の洗体をすることを想像するのは難しかったかもしれませんし、想像できたとしても、自分からBさんに確認するのも気が引けたでしょう。
そして、実際にその場面に直面し、嫌悪感が生まれたにも関わらず、断ることができなかった。
A子さんには断る権利があったのです。
でも、福祉に携わっていると、一個人としての然るべき反応ができなくなることが往々にしてあります。
これは、学生だけでなく実際のプロの現場でも起こることです。
障害福祉の勉強をしたり実際に携わっていると、意図的にも非意図的にも、怒らないことを学習してしまい、利用者の問題行動に直面したときに何も反応せずに流してしまうことがあるのです。
場合によっては、時間を経てから自分が消耗していることに気づくのです。
「怒らない」と「怒れない」は違います。
怒らないけど、怒りの感覚は持っていないといけない。
こういう点が、「感情労働」と言われる福祉の仕事の一面でしょう。
A子さんの話に戻ります。
Bさんが善意のある方なら、前もって説明するという配慮も考えられたでしょうし、そうでなくても、一泊二日のうちに、ボランティアの女子大生に対して3回も陰部を洗ってもらう必要は無かったでしょう。なにしろBさんには自宅に奥様がいるのですから。
Bさん側にも色々な言い分がありえます。「何回でも風呂に入る権利はある」「風呂の度に体を洗ってもらって何が悪い」という意見もあると思います。Bさんには下心は無かったかもしれません。
ただ、実際にこのときBさんがどういうつもりであったかは置いておいて、A子さんが不快な気持ちを抱いたのだから、このとき、A子さんは毅然と拒否をすべきであったと思います。なぜなら、Bさんの要求は、障害を考慮したとしても、常識から逸脱したものであり、女性を辱めることになりえる要求であったからです。
もう一つ、エピソードを書きます。
私の仕事仲間であったC子さん(30代前半女性)のある日の業務中の話です。
朝、知的障害をお持ちの利用者であるDさん(20代後半男性)の自宅まで送迎車で迎えに行きました。
Dさんは神妙な表情をして、「相談があります。ちょっと来てください」と言い、木の茂みにC子さんを誘導しました。
C子さんは「施設の利用を休みたい」などの相談かなと思ってついていきましたが、
Dさんは「お尻を触らせてください」と言ってきました。
C子さんは「それはできません」と答えただけでした。
その後は何もなかったかのようにDさんに送迎車に乗ってもらい、普段通りの流れに戻りました。
その後、C子さんは自分の対応を反省しました。
もっと怒るなり説明するなりして、あのような発言をしてはダメだと伝えるべきだったのではないかと思うと話していました。
確かにそうだと思います。Dさんの発言は、場合によっては通報される可能性のある発言です。
C子さんは障害福祉の現場経験が10年以上になる職員です。だから、このような場面には慣れており、何も感じることなく、だた冷静に対処したのでしょう。たぶん嫌悪感が麻痺している状態です。
でも、こんなにあっさりした対応では、Dさんは同じことを繰り返すかもしれません。
C子さんは、嫌悪感という一人の生活者としての“常識的な感覚”を元に、プロとして、Dさんに対応しなければいけなかったのです。
結論
障害福祉においては、障害者の問題行動を“健常者の普通”を基準にして捉えてはいけません。
でも、“健常者の普通”の感覚をしっかりと持って、反応しないといけません。
プロとしての思考と、一人の生活者としての感情をバランスよく自分の中に共存させながらコントロールしていく自覚が必要です。
これが障害福祉の仕事の難しさの一つです。でも、この自覚があるかないかで支援のレベルに大きな差が生まれると思います。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。