デュルケーム『社会分業論』社会学の古典だけど現代的な話

今回は社会学の古典かつ基本とも言える本を紹介します。

フランスの社会学者エミール・デュルケームの『社会分業論』。1893年に刊行された書です。大学で社会学の講義を受けるなら、初期の段階で必ず触れる名前です。

内容は題名の通りで、社会が分業していく過程や意義を明らかにしていきます。

私なりにできるだけ簡単に内容を解説してみたいと思います。

分業

デュルケームは近代社会以降とそれまでの社会を「分業」という特徴で区別します。

近代が始まる前の社会は小規模な共同体の中で人々の生活が完結していました。衣食住が家庭や集落の中で自給自足できていたと考えると分かりやすいかもしれません。

現代のような高度な技術や設備はそもそも存在せず、自分たちができる範囲のレベルで、自分たちの日々の暮らしに必要な分だけ生産できれば十分だったのです。

しかし、近代になり生産様式が大きく変わりしました。

簡単に言うと機械化です。機械化は飛躍的に生産を効率的にしました。そして、機械を使用しての生産がスタンダードになります。

同時に、科学や技術の進化が進み、産業は高度化していきます。そこで分業が生まれます。

あくまで例えとして説明します。

人は服を着ます。近代までの社会では、繊維から服になるまでの工程の糸作り・布作り・裁縫という作業をタロウさん一家・ジロウさん一家・サブロウさん一家それぞれの家庭が各家庭で行っていました。ところが近代になり機械が開発されます。機械を使うと飛躍的に効率的に作業ができます。しかし、機械は糸作りの機械・布作りの機械・裁縫用の機械と別々で、もちろんタダではありません。

そこでタロウさん・ジロウさん・サブロウさんは考えるのです。それぞれの家庭が3つの機械全てを買うより、それぞれの家庭がどれかを1つずつ買って分担する方が賢明なのではないか、と。

実際には皆がこんな風に考えて分業が進んだわけではないのでしょうが、自然と分業は進んでいきました。

上手く説明できた気がしませんが、これが近代社会の一つの側面です。

連帯

分業すると、自分が担当している作業以外は他者に任せることができるため、自分の作業に集中できます。すると専門化・高度化が進みます。

それぞれの分野が専門化・高度化していくと、自分の専門分野以外のことは分からなくなります。全ての分野に精通しようとすると、どれもが中途半端なレベルになってしまうため、分野を絞る必要があるのです。

結果として、他者に頼らなければいけなくなります。分業が進むにつれて、人は他者に頼る必要性が大きくなるのです。相互依存性が強くなるということです。そうして、社会は連帯していかざるを得なくなります。

自分以外、家族以外、住んでいる地域以外、勤めている会社以外、自分が所属している部署以外、自国以外、とにかく、他者の存在の重要性が増していきます。

近代より前の社会は小規模な共同体で生活が成り立っていたのですが、近代社会以降、時代が進むにつれて生活を成り立たせるための共同体が大きくなっていくのです。

単細胞生物が合体して多細胞生物になっていくようなものです。数々の小さな細胞組織が合体して連帯することで大きくて高度な運動体となる。これの社会版です。

上手く説明できた気がしませんが、 これが近代社会のもう一つの側面です。

連帯が欠かせない関係になると、関係を維持するための法の役割にも変化があります。

再び極端な例えをします。

自給自足の時代は、自分の生活を脅かす他者は排除・追放しても問題ありませんでした。自分の生活には何の影響もないどころか、それで生活が守られるのです。だから、法も単純に処罰をする役割で良かったのです。

しかし、分業が進んで連帯を必要とする時代になるとどうでしょう。誰かが集団や社会に損害を与えたからといって簡単には排除・追放することはできません。なぜなら、その誰かは自分の生活を成り立たせるために、直接的ではないにしても必要な存在かもしれないからです。

だから、秩序を乱す人に対しても、社会に調和する一員として社会に参加し続けてもらえるようにする役割が法に求められるのです。

こうしたことにもデュルケームは言及してますが、このあたりは正直、私の理解がほぼ及んでいません。

現代を考える

ここからは、『社会分業論』がいかに現代にも通じる話かという私の持論です。

産業の分化は現代でも当てはまります。

多様化・高度化するニーズに対応するために産業は選択と集中が重要になります。

分かりやすい例としては、医師の専門科が細分化していることです。

さかのぼると、医師は“医師”という括りしかありませんでした。それが“外科”“内科”と別れ、“心臓外科”“脳外科”“消化器外科”““消化器内科”“循環器内科”“神経内科”などなど。どんどんと細分化しています。

科学や技術の進化に伴い、より専門的で高度なことが行えるようになりますが、専門的で高度な知識や技術を使いこなすにはそれなりの労力が必要です。医療に関して言えば、専門的で高度な医療を提供するためには、分野を絞って習得する必要があり、以前のように全ての分野を網羅することは不可能に近いのです。

簡単に言い換えると、狭く深く学ばなければならないということです。限りある時間や体力を特定の分野に選択・集中して注ぐ必要があるのです。

日本の製造業を見ていてもこのことを感じます。

以前、日本の家電メーカーは栄華を極めていました。数々のメーカーが世界的にも存在感を放っていました。

しかし、現在、そのほとんどのメーカーに以前の勢いはありません。

一方、現在、日本の製造業で世界的な需要を勝ち得ている会社には、化学素材や部品メーカーなどが多くあります。

信越化学工業のように“半導体の製造”ではなく、半導体の素材の製造”の会社

日本電産のように“家電の製造”ではなく家電にも使われる部品の製造”の会社(モーターに特化している)

というように、一般市民の消費者が使用する完成形の商品ではなく、いわば、商品を分解してバラバラにしていったときの特定のパーツの質や量で競争力を持つ会社です。

経営資源の選択と集中を体現した会社と言えるでしょう。

そして、例に出した医療も製造業も、分化したそれぞれの分野が全て必要で、そのどれかが欠けては、人の健康は守れず、家電は作れないのです。要するに相互依存関係にあるのです。

デュルケームが言ったように現代社会も分業が進んでいるのです。

今回は以上です。

かなり学術的なので、一般の方が気軽に読むような本ではありませんし、今は現役の大学生でもなかなか読む機会のない大作ですが、関心のある方は頑張って読んでみてください。

社会学の古典的な書でありながら、今も廃れることのない理論です。

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