1906年(明治39年)に岡倉天心(岡倉覚三)が西洋人向けに英文で書いたものを日本語訳した、いわば逆輸入書
この本のすごく刺激的な一節を紹介させてください。
茶にはワインのような傲慢さも、コーヒーのような自意識も、ココアのような間の抜けた幼稚さもない
岡倉天心著、大久保喬樹訳『茶の本』角川ソフィア文庫
茶道とは、自分というものを、つつましやかに、しかし徹底的に笑いのめす気高い奥義であり、その結果として、ユーモアそのものであり、悟りの微笑なのである
岡倉天心著、大久保喬樹訳『茶の本』角川ソフィア文庫
・・・ズバシィーーン・・・じゅわー
って心に響きます。
なんて言えばいいんでしょうか。この酷く偏ったセリフを言い切る感が、かっこ気持ちいい。
現代なら炎上しうる可能性を秘めた毒舌さです。
念のため言っておくと、私はワインもコーヒーもお茶と同じくらい好きですし、日本酒も好きです。
でも、確かにこのイメージは共感できなくはない。そして、傲慢さとか自意識とか間の抜けた幼稚さとか、そういう鼻につくものを叩きのめす感じが爽快です。偏っているようでいて、的を得ている感じもして、現代でいうと、有吉さんとかバカリズムさんが言いそうなセリフじゃないですか?
でも実は、同じ『茶の本』でも岩波文庫版の訳だと
茶には酒のような傲慢なところがない。コーヒーのような自覚もなければ、またココアのような気取った無邪気もない
岡倉覚三著、村岡博訳『茶の本』岩波文庫
となっているんです。
訳をした時代が違うという理由もあるのでしょうけど、最初に読んだのがこの訳文だったらズバシィーーン・・・とはならなかったかもしれないです。
読点のタイミングとかほんのちょっとの言葉の違いなんですけど、勢いとか面白さに違いがある気するんですよね。私だけかもしれないですけどね。
いずれにしても、明治39年という江戸時代冷めやらぬうちに(冷めてましたかね?)、世界大戦も経ぬうちにこんなに現代的で尖った感性を言い放っていた岡倉さん、おもしろいおっさんだったんだろうなって思います。
興味のある方はぜひ手に取って読んでみてください。
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